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思っていること

· 2 min read
Ikuya Yamada
non-stack engineer

何かを言明するとき、実は後に続く「〜と思う」が隠されている。

スマトラコーヒーは香ばしい と述べるとき、スマトラコーヒーは香ばしいと思う が正確な記述であり、

もっと客観的に思えること、例えば、日本は47の都道府県からなる、というような事実を述べるときも

日本は47の都道府県からなる(と私は思う) と言っているのである。

それはこっそりと48個目の県が追加された、ということではなくて、人である以上思うことからは離れられない、ということを言っているにすぎない。

とはいえ対象の事実度(とでもよべるもの)にも濃淡はあり、私の作った麻婆豆腐はお店で出しても恥ずかしくない、よりは日本は47の都道府県からなる、の方が事実度が高いように思える。

こうして 事実度が高い = 明晰に認識しうることはなんだろうと考えていくと、思っていること、それ自体に辿り着く。

こうして21世紀の日本から、デカルトの思考と接続した(と(勝手に)思っている)