とあるメガネをかけること
ぼんやりと見えるものを、もうすこしはっきりと見たいとき、①ものを手元に近づけてみたり、②眼鏡をかけてみたりする。
はっきりと見たいが(色々な理由で)そばには寄りたくない・近付くことができないときは②眼鏡をかける が選択される。
ぼけーっと生きていても、一生懸命に暮らしても、どのようなライフスタイルであっても生きている限りはトラブルに遭遇する。そして、多くの場合トラブルの根本原因を探っていくと人間関係に帰結するのではないか、という気がする。
自分でない誰か同士が争っているようなとき、近寄りたくない・巻き込まれたくはないが、かえってそういうときに関心が引かれてしまいがちで、火の粉を浴びない程度の距離で遠巻きに眺めている分には実際面白いものであったりする。
ところでところで、「東大政治学 = TODAI POLITICAL STUDIES」という本が昨年出版されており、パラパラと読んでみると、人間社会に政治がなくならない理由として三つの要素が挙げられている。
東京大学法学部「現代と政治」委員会 編. 東大政治学, 東京大学出版会, 2025.9. 978-4-13-033111-1. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033694650
曰く、「他者の存在,人間の邪悪(欲深)さ,資源の有限性の三つが揃ったとき,人びとのあいだに争いは避けられないものとな」るのだという。
とくに人間の邪悪さに関しては人間が神や仏と異なり「ときに邪悪なことを考え,実行してしまう生き物」であること、「力を持って誇示したい,人よりお金を稼いで高価なものを持ちたい,もっと尊敬されたい,他人が羨ましいなど,なかなか情念から逃れられない」点が挙げられている。
遠巻きに眺めているだけではAさんとBさんが参加するミーティングの雰囲気が悪い原因が見えてこないときは、「三つの要素」という(色)眼鏡をかけてよく見てみると、争いの輪郭がはっきりとしてくるかもしれない。
ああなんだ、AさんはBさんに対してただ力を誇示したいだけなのか、とか、
Bさんは、冷蔵庫にあった、食べるのを楽しみにしていたパイを妹に食べられてしまったのか、とか想像してみることができる。
よく観察できたと思ったつもりがフォーカスを誤っていた可能性もあるので、ときに度数を調整したり別の眼鏡を用意しておくと良さそうである。眩しいときはサングラスをかけたり、思い切って近視眼的に生活してみたり。
ということを、以前より悪化した乱視に悩まされながら、そして色々なブルーライトをカットしながら執筆している。 鏡の中の自分こそそういう目線で観察してみたいものである。