無知の知について知らなかったこと
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無知の知 という言葉自体はずいぶん前から知っていた。 なんとなく、「この世は広く、知らないことだらけだと知り、謙虚に生きていこう」くらいの意味で捉えていた。
最近読んでいる本
千葉雅也 [ほか] 著ほか. 哲学史入門 1, NHK出版, 2024.4, (NHK出版新書 ; 718). 978-4-14-088718-9. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033402902
の納富さんのところで、ソクラテスの例の言葉は 無知の知 ではなくて 不知の自覚 という言葉を使うべきだろうと主張されている
知ることと思うことは明確な根拠の有無という大きな違いがある。また、人間は本質的に知ることができず、思うことしかできないが、検証を重ねることで 思い込み から 検証済みの思い にステップアップできる というようなことが書いてある。
思うことにもグラデーションがあり、その揺らぎの中で真理に近づくタイミングもあるかもしれない、かといって何もしていないと揺らぐことすらできないよ、そういうメッセージとして受け止める。
翻って日常に照らし合わせて考えてみると、例えば新しいツールをつかうとき
全くわからない →完全にわかる →全くわからない →チョットわかる
という成長曲線を描くときがある。この揺らぎこそがソクラテスが言いたかったことの一部なのかもしれない。
..いや、全く違うかもしれない。
まだまだ、自分はわからないこと知らないことが多いのだなと自覚する。これこそがまさに XXのYY なのかもしれない