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堂々と語ること

· 5 min read
Ikuya Yamada
non-stack engineer

読んでいない本について堂々と語っていいのだと知った。

ピエール・バイヤール 著ほか. 読んでいない本について堂々と語る方法, 筑摩書房, 2016.10, (ちくま学芸文庫 ; ハ46-1). 978-4-480-09757-6. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I027622938

ある本について語るには、その本を読む必要はない、というよりも積極的に読まないことを勧めている。

そもそも読んでいることと読んでいないことの境目があやふやであること、そして「語る」という行為に必ずしも「読む」ことが求められないという主張がされる。

そして批評という営みが創造性にあふれたものであること、本を語っているつもりで、その実語っているのは批評者自身のことなのであると言われる。テーマとしている本・映画・劇はそのきっかけに過ぎない。

面白いと思った点が二点ある。 一点目は本書での著作の引用の仕方について。本書では引用した文献について、その本を著者がどのくらいまじめに読んだのか、という情報が追加されている。

p17

<未>は全然読んだことのない本、<流>はざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本、<聞>は人から聞いたことがある本、<忘>は読んだことはあるが忘れてしまった本を指す。

最大でも流し読みであり、それ以上の、例えば熟読した本というのは一冊もないことがわかる。著者にとっては本をきちんと読むというハードルが著しく高いのだと思われる、が、こうした形でそれを示してくるのが何とも愉快であった。

二点目として、色々な小説の場面が引用されている中、夏目漱石の『吾輩は猫である』が引用されていたこと。他に引用されていた作品は全く読んだことがなかったのであまりピンとこなかったこともあるが、『吾輩は猫である』の登場人物の会話に与えた考察を読んでいると、なるほど小説はこういう読み方があり得るのだと、新たな学びとなった。

  • まとめ

独創的な方法で、読んでいることと読んでいないことの境界を破壊してこそ見えてくる本(読書)の価値、そして人が本について語るとき何が起きているのか、という点を明らかにしている。触られたことのないツボを押されたような、感じたことのない刺激を覚える。非常に良い読書体験となったとともに、こうしてまた世界の見え方がすこし変わっていくのだと実感した。

明日からは全く知らないことについて堂々と語る人になるのである。