一人であること
今よりだいぶ寒い2月に書いたこと。
年末年始の喧騒を経て2月が訪れる。2月は「逃げる」のだと言われるが、果たして逃げているのは2月の方なのか我々自身なのか。
私たちが2月に逃げられることが成立するということは、2月に追いつきたい、2月にそばにいてほしいという願望が前提にあるのかもしれない。2月に限らず月が過ぎること自体が寂しいことなのだろうが、他の月より3日も短いと時間の経過がより強調されるということなのだろう。
さて、逃げゆく2月を前に少し前のことを振り返ると、そう、西暦がまた更新されて2026となったのである。近頃は比較的穏やかな年末年始を過ごしているが、とはいえ相対的には騒がしいのが年末年始であり、それは人と集まる機会が増えるからである。
友人や家族と時間を共にすることは、数多くの他者で構成される社会とかかわり、ときに揉まれる我々にとっては、どこか自分の居場所を見つけたようで、自分を取り戻したように感じる瞬間でもある。
さて、諸々の集まりに出席し色々話してみると、自分だけが世間からずれているような気がしてきたり、旧友の言葉に共感できないことが増えていたり、かといってそれをあえて指摘するほどでもなく……ともかくそういうことに気付く。そしてこの、どうにも言い表しがたい感覚こそが孤独と呼ぶべきものなのかもしれないと、気付かされる。
もっともこの感覚を孤独と呼ぶのにあたっては明らかにいくつかの書籍の影響を受けている。
- 田中美知太郎 著. 読書と思索, 第三文明社, 2025.12. 978-4-476-03440-0. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I034430385
- ハンナ・アレント 著ほか. 責任と判断, 筑摩書房, 2016.8, (ちくま学芸文庫 ; ア7-4). 978-4-480-09745-3. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I027511401
内容的にはあまり関わりのない二冊だが、孤独に関して言及されている箇所から似たようなインスピレーションを得る。つまり、一人でいることは多数の中に身をおいてこそより強調される、というようなことである。
そして、私が自分自身の中にふつふつと湧く孤独を発見するように、きっと他の参加者も楽しい思い出の片隅に孤独を携えて帰るのだろう。
楽しく食事をと集まった人たちが、それぞれ孤独を抱えて帰宅する。なんとも人間はよくわからないいきものだと思う一方で、その現象自体はすでに発見されており、かつ一定の普遍性をもつのだろうと思うと、不思議に思う中に救いも見出せる気がするのである。
ああ、これが世に聞く孤独というやつかと、寒空の帰路で口には出さずにつぶやく。そしてほくそ笑む。
